いま私たちは高度情報化社会を生きている。手元にはスマートフォンがある。知りたいことは瞬時に検索できる。なんだってわかる。いや、なんだってわかった気になってしまう――。こんな時代に「未
通水管知」は存在するのか。北極や砂漠――極地と呼ばれる場所で、未知と向き合ってきた2人の男たちが語り合う。(写真・松岡一哲/Yahoo!ニュース 特集編集部)世界には「内」と「外」があ
通水管った角幡唯介が『極夜行』(文藝春秋)で書いた冒険は、「人生を懸けた旅」だった。舞台は、太陽の昇らない極夜のグリーンランド。外気温が氷点下40度を下回ることもあれば、激烈な風で
通水管ントが破壊されそうにもなった。食料の欠乏で命の危険にもさらされた。相棒は犬1匹。食料やテントを積んだソリを引いて、闇の北極を生き抜いた。一方の村上祐資は極地建築家を名乗る。彼
通水管の言う「極地」は地球に限らない。たとえば火星だ。村上は、人類が閉鎖環境で長期間暮らすことを想定し、民間による国際的な有人火星探査研究団体のプログラムで模擬実験を行っている。ときには約
通水管160日間に及ぶ実験に、複数名の隊員と取り組む。そんな2人は、「未知」をどう考えているのか。角幡 最近ね、「未知」について語ってください、みたいな取材が多い。みんな未
通水管に飢えているのかな。村上 未知って、冒険の根本であり続けてきました。かつての冒険は、わからないこと、つまり未知を解明するために行われてきました。たとえば人跡未踏の地に分け入る
通水管。あるいは「秘密」を冒すために行われてきたといってもいい。秘密とは何か。言い伝えで「あそこには化け物が棲んでいるから行ってはならない」と聞いていても、人間の好奇心や欲望のほうが勝り #=========#